2026/06/03 18:02
⚫︎寸評
調理とは、命を素材として別種の存在へ転化する行為であり、
古くは厨・厨子に見られるように儀礼的性格を帯びてきた。
近年の表象においてもその観念は変奏され、たとえば呪術廻戦における両面宿儺の術式「伏魔御厨子」は、
調理空間を変換の場として再解釈したものと捉え得る。
本作に描かれる存在は、岡山に伝わる「フタクリヤノカミ」の化現とされ、
その体内で生類を選別・改変する様が示唆される。
「二口なる神、腹中にて生類を撰び、火を通さずして形を改む」(『備前異聞集・巻二』)
かくして本作は、調理=命の転化という原初的行為に潜む供犠と創造の両義性を可視化した――怪作である。
参考文献:久世 恒一『供犠と食文化の構造』、綾部 恒一『反復記号と儀礼行為』、『備前異聞集・巻二』(余白書房)
※本説は一解釈に過ぎない。
評:空想評論家のアシダ
Cooking as the Transmutation of Life
Commentary:
Cooking transforms life into another form, bearing a ritual dimension long embedded in spaces like the kuriya and zushi.
In Jujutsu Kaisen, Ryomen Sukuna’s “Malevolent Shrine” reframes this space as one of violent conversion.
Here, the figure evokes “Futakuriya-no-Kami,” suggesting the selection and alteration of life within.
―A grotesque work of sacrifice and creation.
Commentary by Ashida
